東京地方裁判所 昭和37年(モ)12802号 判決 1963年7月24日
債権者(相手方) 山田弘次
右訴訟代理人弁護士 山根静人
右同 山根彬夫
債務者(異議申立人) 中尾槌人
債務者(同)有限会社丸正商店
右代表者取締役 中尾槌人
右両名訴訟代理人弁護士 河嶋昭
主文
頭書当事者間の当庁昭和三七年(ヨ)第五五四五号不動産(工事禁止)の仮処分決定(同年九月五日付、目的物件は別紙目録・図面表示のとおり)は、これを取消す。
債権者の本件仮処分申請は却下する。
訴訟費用は債権者の負担とする。
この判決は第一項に限り仮に執行することができる。
事実
≪省略≫
理由
直ちに争点について検討する。
一、(債務者の抗弁1について)
債務者代理人指摘のように、建築基準法第六五条には、「防火地域または準防火地域にある建築物で、外壁が耐火構造のものについては、その外壁を隣地境界線に接して設けることができる。」と定められ、法文のみからみると一般法規である民法二三四条一項の特則をなすようにみえる。
しかし民法は、専ら私人間の利害の調整をはかることを目的とし、私法法規として私人間の権利義務を定めた一般法規であるところ、同法の相隣関係に関する規定(二三四条を含む)も土地利用関係の調整を目的として、相隣地所有者間の権利義務を定めたものに外ならない。従つて、右相隣関係の規定に違反した事態が生じた場合にも、その予防・除却は専ら違反のある土地所有者に対する隣地所有者からの請求権の行使(訴訟その他)にまかせられていると解すべきものであるし(行政庁が建築基準法第六条の確認をなす際には、別段民法の規定は考慮されない。同条三項、証人池原真三郎の証言)、また当事者間の互譲によつても紛争は解決できる。
これに反し、建築基準法は、「建築物の敷地、構造、設備及び構造に関する最低の基準を定めて、国民の生命、健康及び財産の保護を図り、もつて公共の福祉の増進に資する」(同法一条)という行政目的を達するために定められたものであるが、この法律全体の構成からみると、同法の定めた諸種の建築基準は、専ら行政庁のなす同法所定の建築確認、検査、違反建築に対する措置等並びに罰則によつてその実行が確保されていると言うべく、反面これらの基準に違反した建築主に対し隣地所有者または近隣居住者に私法的是正請求権が与えられているとは解せられないし、また、近隣者間の私的合意によつてこれらの基準を左右できるものでもない。かような点を考察すると、同法所定の建築基準に関する各法条は、行政法規として行政庁のなすべき前記確認、検査、措置等の基準を定めたものであつて、建築主に対する隣地所有者(または近隣居住者)の私法上の請求権の消長を定めたものではなく、同法六五条もその例外ではないと解するのが相当である。
そうすると、建築基準法六五条が民法二三四条その他同法相隣関係法規の特則であると解すべきではない。債務者の所論は、右と反対の解釈を前提とするのであるから、これを採用することができない。
二、(債務者の抗弁2について)
債務者は、本件係争地の附近には、民法二三六条にいわゆる「異りたる慣習」があると主張する。
検討するに、
(1) 建築基準法六五条は解釈としては民法二三四条の特則たり得ないこと右のとおりであるが、事実としてかような規定が法律を以て制定施行されていること自体、(その要件に副う地域であり、その要件に副う建築である限り)右民法の規定と異りたる慣習の存在を認め得る有力な徴表であり得るし、かつまたこの基準法に基いて建築に関する行政指導が現実に行われるわけであるからかかる慣習の急速な形成をうながす重要な要因たるを失わない。
(2) しかして本件係争地附近が、法の規定による商業地域かつ防火地域と定められていること、債務者において建築基準法所定の行政庁の確認を得た上本件建築を開始したものであることは当事者間に争いがない。
そして右「商業地域」、「防火地域」は関係市町村の申出により都市計画法の定める手続によつて建設大臣によつて指定されるのであるが(建築基準法四八条一項二項)、充分土地柄を検討して指定されている筈であるから、これら区域においては土地の高度利用が特に必要であることが一般に容認されている結果にほかならないものと考えられる。また、証人池原真三郎の供述によれば、東京都の「商業地域」でありかつ「防火地域」内において、本件のように敷地境界線に近接した建築(耐火構造)の確認がなされた場合において、その後隣地者との間で民法二三四条をめぐる紛争が生じることは滅多にないことが疏明される。
(3) 本件係争地附近の状況をみるに、成立の争いのない乙第一号証、同第三号証の1ないし13並に証人池原真三郎、同早川忠治および債務者本人の供述を綜合すれば、本件債務者所有地は、いわゆる玉川線の電車道路(三宿停留所附近)に面し、最近になつて所謂オリンピツク道路である放射四号線の建設のため道路敷地の拡張が行われた所であつて、右拡張に伴い従前道路に面していた建築は取毀されたが、拡張後新たに道路に面して債務者の本件建物を始め、商業用建物が棟を接して建築され商店街をなしていることが疏明せられる。
以上の諸点を綜合考察すると、本件係争地附近においても(むしろ東京都全体がそうであろうが)、少くとも防火地域かつ商業地域と指定された区域内では耐火構造の建物に限り隣地との境界線に接して建設する慣習があることが疏明されたと言わなければならない。
もつとも債権者が主張するように、以上挙示した証拠のほか債権者本人の供述によれば、本件債務者所有地は最近の右放射四号線の建設の結果表道路に面するようになつたもので、別紙図面のように債権者所有地はその裏側にあること、右道路拡張前は表道路よりやや引込んだ住宅の多い地区であつて建築物が隣地との境界に接近して建てられたことは必ずしも一般的ではなかつたことが窺われる。しかし、民法二三六条の慣習の存在は、当該限られた地域における過去の静的な状態からのみこれを認めるのは妥当でなく、その地域を含めたより広い地域社会(本件の場合、東京都)全体の生成発展過程(法規の制定も含む)のうちに動的に把握するのが相当であると考える。そして今日の急速な都市の変貌の有様を考慮すると、本件の疏明資料の限りでは、前記(1)ないし(3)の状況に対比して右事情は未だ前記の慣習の認定を否定するに足る程の要因とし難い。
(なお、前記(3)の認定に供した資料によれば、本件債務者らの建築が建築基準法に副う耐火構造の建物であることは明らかである。)
以上の次第で、債務者らの抗弁2の事実が疏明せられるから、抗弁3の事実を検討するまでもなく結局債権者の被保全権利(民法二三四条二項による建築の廃止または変更請求権)がその疏明充分でないことに帰し、なお事案の内容からして債権者に保証を立てさせて被保全権利の疏明に代えるのは相当でない。
よつて特別事情による仮処分取消の主張の判断は省略し建築続行禁止を命じた本件仮処分決定を取消した上、債権者の仮処分申請を却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 内田恒文)